鬱 13年

私は治りますか⁇

夕食

食材は買いに行けないけど、夜になって少し調子が良くなったので賞味期限切れの冷凍エビとウィンナーを使ってエビチリとピーマンとウィンナーの炒め物を作った。

苦しくて野菜の切り方は雑だけど、作れただけ良かった。

明日こそは会社に行かないと、迷惑かけて申し訳ない、だから鬱病を患ったことがある人を社会は雇いたくないんだろうな。

迷惑でしかないもんね。

昔は

鬱の時にブログを書いたりできる人は本当の鬱じゃないと思ってた。

考えがまとまらないし、悲観的なことしか思いつかないのに自分を客観視できる状況じゃないはずだからだ。

私は13年目にしてやっと言葉を発信している。なぜできるかというと、やはり当時ほど悪くない状態なんだと思う。

いい意味で最悪の状況になる前にセーブ出来てる、悪い意味で逃げている。

頑張れば会社にも行けるんだと思う。それが会社から帰ってきた後いい方向に行くか悪い方向に行くか分からないそれが怖いんだと思う。

こうしてブログにアップしてるのはメモ書きのようなものだ、誰かに助けて貰いたいという気持ちもあるから誰も見てないかもしれないがこうして世間の目に触れるようにブログという形をとっているという意味もある。

また、言葉にすることが大事と言われたから思ったこと、思ってることを言葉にしているのだ。自分なりの治療の一貫のつもりである。

13年

私が心療内科?精神科?に行ったのは高校3年が最初だ。

外に人がいっぱいいる中怖くなって家に帰れなくなったのである。

その時家は荒れに荒れていた。最初に変になったのはお姉ちゃんである、物を壊す、言動がおかしい、両親は姉をメンタルクリニックへ連れて行った。そのおかげか私もその後すぐに連れて行ってもらったのだ。

だが、今思うと前兆はもっと前からあったように思う。中学のころから友達の前でも号泣したり、一緒にお祭りに出かける約束をいてても人の視線が怖くなってドタキャンしたり、洋服を買いに行っても店員さんの視線が怖くてちっとも洋服を見れなかったりとりあえず思春期のころからおかしくなってしまった。

高校に入り授業にも部活にも集中出来なくて学校に行って帰ってくるだけで疲れて寝てしまっていた。

そして3年の時受験勉強が始まりだした頃ついに壊れてしまった。何処へ向かって進めばいいのか全く分からなくなってしまったのだ。趣味も興味も何もないからやりたいこともなかった。私が人との付き合い方に悩んでる間にみんなはドンドン先へと進んでいっていたのだ。

両親が連れて行ってくれた病院は相性が良くなく薬が合わず、日中もずっと眠たくでも、苦しくなってしまうから薬を飲まずにはいられずという状態だった。

今も調子が悪い時は3日ぐらい昏睡状態のように眠り続けてしまうが当時はそれがずーっとずーっと、苦しいか寝てるかどちらかという感じだった。食欲もなく体重も減ってガリガリになってしまった。当時はいつまでそれが続くのか、普通の人に戻れるのか、友達にどう思われているだろうか、出口はどこにあるのか無限のループにいるようだった。

それから考えると今はマシなもので月に一度、一週間ぐらい具合が悪くなって普通に戻るのだから、

だが、今回は重く仕事を辞めなくてはならなくなり、なおかつ、後何日かの仕事に行くのが怖いのである。そして、その姿を結婚して初めて旦那に見られて冷たい態度を取られて、今後がもっと不安なのである。だが、イロイロなサイトを見ていると、鬱の妻とは別れた方がいいというコメントを良く見かけ、やはり世の中そうなんだろうと思った。だったらさっさと離婚してあげるべきなんだろうと思った。

今日は夕食を作らなくてはいけないのだが、食材が全く冷蔵庫にないのである。

買いに行けないから、自分で調達してきてもらうしかないよな。

正直実家に帰りたい。親身に心配してくれる家族に会いたい。両親もいつかは私より先に亡くなってしまう。それが怖くて仕方がない。残されたくない。実家の犬は今10歳なのだが平均寿命は後5年ぐらいである。

犬が亡くなる時に一緒に亡くなりたいと思う。先にいかせたくないし、一緒にいたい。

お墓も一緒がいい。